あどりぶ人生

マニュアルなんて通用しない時代に大切なのは、アドリブで対応できる能力だった。今この瞬間を生きると楽になれる、自分なりの幸せを見つけるブログです。

海外移住

国際結婚です。

アメリカ人と結婚して ある時期アメリカに住んでいました。

 

国際結婚も珍しくもなくなり、特に首都圏では 外国人の方と働くことや、ご近所さんに外国の方がいるのが当たり前の時代になりましたね。

 

結婚した頃はまだ、「外人」と指差されたり、、とにかく いい意味でも逆でも目立ったものでした。

 

結婚して日本で暮らし

諸々 考えて アメリカへ移住を決断したのが 子供が、中2、小6、4才になる年

 

アメリカで暮らすということは、

アメリカ人にとっても、久々の母国は 逆カルチャーショック

子供にとっては、まさに チャレンジ

 

そして、わたしは 置かれた場所で、可能な仕事を探すことから始まった

子供たちの学校、日本と全く違う教育も 興味深いことだらけだった

 

外国で暮らす心境の変化は

超心配性だったその頃のわたしの場合

 

初めは 何もかもが物珍しい 

ありきたりだけど、期待と不安が入り乱れる

そして 移住という大きな決断を成功させなければというプレッシャーも もちろん


日本人である、と。

外からみて初めて気が付くとは良く言われるけれど、

それは、母国についてだけではなく、自分についても しばしば起こった

 

例えば ちょっとした 仕草

コミュニケーションの仕方

責任の取り方

気配り

 

日本では、そこまで典型的な日本人とは思っていなかったけど

いろんな場面で やっぱり自分は日本人ぽいな、と思い知らされる(良くも悪くも)

 
現地のカルチャーとの折り合いの付け方

少し経つと 比較が始まる

どちの国が いいだの、あっちでは こうだったのにとか

 
メンタルの保ち方

日本の動揺など ふっと口ずさんで涙が溢れる ホームシック時期

うさぎ 追いし かの山ぁ〜

 

怒涛の毎日に ついていくのが精一杯

 

楽になってきたのは、知り合いが増えてきた頃

仕事も慣れた頃

 

融合して マーブル色に

 

どっちの国の良さも 悪さも 受け止められるようになる

どっちも好きだな、と思ったり

 

ずっと ここでいいかな、思ったり

帰りたいと思ったり

 

人生の中で2番目に良い決断だった、と今だから思える

渦中にいる時は 無我夢中だった

無謀すぎたことも たくさんあった

でも 緻密な計画を立て切るまで待っていたら

きっと、実現できなかった、

 

もう一度やってみて、と言われたら

どうだろう?

 

海外生活の情報なんて すぐに手に入る時代になった、ね

あの頃の手探り感は、それは それで 楽しかった

 

思い出が多すぎて

書きたいこと 整理してから

また ゆっくり 書いてみようかな

 

それでは 今日は この辺で

おやすみなさい